御祭神の日本武尊とはどんな人?ご利益は?などわかりやすく解説

豆知識

よく神社で祀っているけど、どんな神様なの?ご利益は?

そんなこと思ったことありませんか?

僕は思いました。

なので自分で調べるついでに記事にしてみてみました。

ぜひ最後までご覧ください。

日本武尊とは

日本武尊とは「古事記」「日本書紀」通称「記紀」などで伝わる古代日本の皇族だったそうです。

第12代景行天皇皇子で、熊襲征討・東国征討を行ったとされる日本古代史上の伝説的英雄でもあるそうです。

これらでわかると思いますが、日本武尊とは空想の神様ではなく実在した人物であったということです。

また、「古事記」と「日本書紀」とでは名前の読み方は同じでも漢字が違います。

この2つの違いは以下のとおりです。

古事記

もとの名前:小碓命

またの名前:倭男具那命、倭男具那王

のちの名前:倭建命、倭建御子

日本書紀

もとの名前:小碓尊、小碓王

またの名前:日本童男

のちの名前:日本武尊、日本武皇子

それぞれ、もとの名前を「おうすのみこと(おうすのみこ)」またの名前を「やまとおぐなのみこと(やまとおぐなのみこ)」のちの名前を「やまとたけるのみこと(やまとたけるのみこ)」と読みます。

西征

双子の兄を殺した小碓命を恐れた父、景行天皇は単独で九州南部で勢力を拡大していた熊襲建(くまそたける)兄弟を征伐するように遠征を命じます。

力試しが出来ると喜んだ小碓命は叔母である倭姫から女物の衣装をもらうと短剣を持って出発しました。

熊襲建兄弟の館は厳重に警戒されていたため、小碓命は女装をして宴に忍び込む計画を立て熊襲建兄弟が酒に酔うのを待ちました。

その後、熊襲建兄弟が酔ったのを見計らい懐に隠し持っていた短剣で熊襲建兄弟を討ちました。

この時に強者である「タケル」の名をもらい、それ以降日本武尊と名乗るようになりました。

東征

西征から戻った日本武尊に父は東国征伐を命じます。

途中、伊勢神宮の倭姫のもとに立ち寄りそこで神剣・天叢雲剣と火打具をもらいました。

尾張国で日本武尊は宮簀媛に出会い再び大和に戻る時に結婚することを誓います。

↓出会った地に立てられた神社

その後駿河国で国造に歓迎されますが朝廷に従属するつもりのない国造は日本武尊を野に誘い出し四方に火を放ち騙し討ちしようとします。

退路を絶たれた日本武尊は倭姫からもらった神剣で草を薙ぎ払い、火打ち石で向かい火を放ち脱出しました。

このことから草を薙ぎ払った神剣は「草薙剣」火で焼いた地は「焼津」と呼ばれるようになりました。

弟橘比売の入水

さらに東の浦賀へ入った日本武尊は船で房総へ渡ろうとしますが、海が荒れていて船を進めることが出来ませんでした。

その時、同行していた后の1人である弟橘比売が自ら荒波に身を投げ波を鎮めました。

その後東国征伐を終えた日本武尊は足柄山の頂上に着いた時、亡き弟橘比売を思い「我が妻よ」と呼び掛けたそうです。

それからこの辺りは「吾妻」と呼ばれるようになりました。

伊吹山の神

西国、東国を平定した日本武尊は東征のときに約束していた宮簀媛と結婚をし、しばらく経った頃伊吹山に悪い神がいると聞き討伐に向かいますが、これまでの勝利で慢心したのか草薙剣を宮簀媛に預けて行ってしまいます。

伊吹山を登る途中牛ほど大きい白い猪に出会いますが、これを山の神の使いだと思った日本武尊は「帰り道で相手になってやろう」と威嚇します。

すると突然、雹が激しく降り出しました。

この猪は使いではなく山の神そのものだったのです。

やっとの思いで脱出した日本武尊は養老の地を通る時に「足がタギタギと軋む」と嘆いたそうです。

のちにこの地は「多芸野」と呼ばれるようになります。

白鳥伝説

大和へ歩き続けた日本武尊はある村へ着くと「足がまるで三重に曲がりそうだ」と言いました。

そのことからこの地は「三重」と呼ばれるようになったそうです。

その後日本武尊は力尽きて倒れてしまいます。

日本武尊の訃報を聞いた妻や子は能褒野(現在の三重県鈴鹿)に駆けつけます。

すると日本武尊のお墓から白く大きな白鳥が天高く飛んで行きました。

日本武尊は白鳥となり故郷へと帰っていったのです。

その白鳥が留まった河内国の志紀に御陵が作られ「白鳥の御陵」と呼ばれるようになりました。

以上が日本武尊の生涯に残した伝説です。

これらのゆかりの地には神社などが建てられています。

宮簀媛のお墓とされている断夫山古墳に関する記事はこちらからご覧ください。

参考HPhttp://takebetaisha.jp/yamatotakeru/

ご利益

日本武尊のご利益はたくさんあります。

詳細はこちらです。

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日本武尊を主祭神とする神社7選

日本武尊を祀る神社は全国に数多く存在するため、7つだけ紹介していきます。

近くの神社も祀っているかも知れないので気になる人は調べてみてくださいね。

富岡八幡宮

富岡八幡宮 ~時代と共に、地域と共に~

富岡八幡宮は寛永4年に創建された神社です。

Twitter、Facebook、YouTubeで情報発信をしているそうなのでチェックしてみてください。

千葉神社

こちらの神社は日本武尊を主祭神ではなく相殿神として祀っています。

金鑚神社

日本武尊が東征の際に創祀したと伝えられている神社です。

日本武尊は配祀神として祀られています。

熱田神宮

熱田神宮の創祀は、三種の神器の一つ草薙神剣の御鎮座に始まり祭神として熱田大神を祀っています。

熱田大神とは、三種の神器の一つである草薙神剣を御霊代としてよらせられる天照大神のことです。

日本武尊は相殿神として祀られています。

熱田神宮についてはこちらをご覧ください。

氣比神宮

広島県の厳島神社と奈良県の春日大社と並ぶ「日本三大鳥居」がある北陸道の総鎮守です。

また、松尾芭蕉も「おくのほそ道」で訪れたという由緒ある神社です。

大鳥大社

大鳥造の本殿は古代神社建築の一つで、日本武尊が死後白鳥となって最後に留まった大鳥の地で、周辺の人々が白鳥をお祭りするために建てたといわれています。

和泉の国一の宮と呼ばれています。

建部大社

本殿の御祭神に日本武尊を祀る神社です。

こちらは近江一の宮と言われています。

さいごに

いかがだったでしょうか?

今回は数多くの神社で祀られている日本武尊についてまとめました。

日本武尊に関する逸話や伝説などを紹介させていただきました。

参考にする文献や解釈によって多少内容が違うかも知れませんがご了承ください。

今回あげた神社以外にも日本武尊を祀っている神社は多くあるのでぜひ行ってみてください。

今回は以上です。

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